Plaza de Oriente(オリエンテ広場)


Plaza de Oriente(オリエンテ広場)

Plaza de Oriente(オリエンテ広場)は、Palacio Real(王宮)の正面ファサードの前にあります。広場の建設は、1811年、ナポレポン・ボナパルトの兄ホセ・ボナパルトの命で着工しましたが、今日の姿での土地開発が行われたのは、イサベル2世の時代でした。広場の真ん中にあるフェリペ4世の騎乗姿の彫像は、ベラスケスが描いた肖像画をもとに彫られたものです。また、王宮のコーニスを飾る予定だったその他のスペイン君主の彫像も建ち並んでいます。Plaza de España(スペイン広場)とPlaza Mayor(マヨール広場)に近いオリエンテ広場は、マドリードで最も往来の激しい広場の1つです。

Plaza de Oriente(オリエンテ広場)

マドリードの大並木通り

マドリードの大並木通り

現在のオリエンテ広場は、中世にはマドリード市西方にある、低木に囲まれた平地でした。当初の古城の要塞が姿を消すに従って、その付近に建物の建設が始まりました。フランスの支配期、ホセ・ボナパルトは王宮を臨む広場の建設と同時に、王宮付近の不恰好な下町や評判の悪い住居を取り壊すことを希望しました。

設計を担当したシルベストレ・ペレスは、San Gil(サン・ヒル)修道院とSanta Clara(サンタ・クララ)修道院、San Juan(サン・フアン)教会、56件の住居を始めとする建物を含むいくつものブロックを取り壊さねばなりませんでした。彼の設計案は、王宮からplaza de la Puerta del Sol(プエルタ・デル・ソル広場)を通りPuerta de Alcalá(アルカラ門)までを繋げる大通りを設けるものでした。

フランス軍が引き上げてから後も、この設計案はマドリードの人々に悪くないものに思われ、そのまま継続して推進されていましたが、フェルナンド7世が取り壊された建物の代わりに劇場を設けたため、マドリード市の大並木通り建設の計画は実現には至りませんでした。1844年、アルグエリェスとマルティン・デ・ロス・エロスが、ナルシソ・パスクアル・イ・コロメルに庭園の立案を依頼し、Campo del Moro(カンポ・デル・モロ) のあちこちに放置されていたり、王宮内に保管されていた君主たちの彫像がそこに飾られることになりました。また、パスクアル・イ・コルメルは広場を取り巻く建物の建設に関する諸規定も定めました。

行き場のない彫像

彫像

フランシスコ・サバティーニは、王宮の設計案の中に、スペインの歴代の国王夫妻の彫像を飾る一角を設ける企画を盛り込みました。これらの彫像は、制作はされたものの王宮の上に飾られることはついになく、現在ではオリエンテ広場とレティーロ公園、スペイン各地の都市に散在しています。

便利情報

公共交通機関


バスのアイコン バス:市バス 3,25,39,148番
地下鉄のアイコン 地下鉄:2番線,5番線 Opera(オペラ)駅
近郊鉄道のアイコン 近郊鉄道:Estación de Principe Pío(プリンシペ・ピオ駅)
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