マドリードを象徴するこの噴水は、17822年にPaseo de Recoletos(レコレートス遊歩道)とPaseo del Prado(プラド遊歩道)の間に位置する噴水と同名の広場に作られました。
大地豊穣の女神シベレスと女神を乗せた馬車を引く2頭のライオンからなるこのモニュメントは、カルロス3世の命を受けたベントゥーラ・ロドリゲスによって作られました。大理石で作られたこの噴水は、当初レコレートス遊歩道に面した Palacio de Buenavista(ブエナビスタ宮殿)の前に設置されましたが、その後19世紀末に現在の場所、広場の中央に移されました。
シベーレスの噴水はこのモニュメント自体の美しさもさることながら、Palacio de Buenavista(ブエナビスタ宮殿)、Palacio de Linares(リナーレス宮殿)、Palacio de Comunicaciones(逓信宮)、スペイン銀行といったそれを取り巻く壮麗な建築物と相まって、美しい景観を創り出しているのです。
この噴水はまた、レアル・マドリードを象徴する場所となっていて、チームがタイトルを獲得すると勝利を祝うファンがこの女神の周りに大集合するのです。

Fuente de la Cibeles(シベーレスの噴水) はスペイン人建築家ベントゥーラ・ロドリゲスが担当したプロジェクトで、その建設は1777年から1782年にかけて行われました。このモニュメント建設は、18世紀末、啓蒙王カルロス3世が、マドリードを当時のヨーロッパ諸都市のような美しく華やかな街にするべく敢行していた壮大なプロジェクトの一環でした。
この噴水は1782年、プラド遊歩道の改造が開始された際に、当時陸軍総司令部だったブエナビスタ宮殿の正面に設置されましたが、モニュメントが噴水として機能し始めたのは、それから10年後のことでした。
1895年になると、モニュメントは広場の中央に移され、女神がCalle Alcalá(アルカラ通り)が始まる地点の方を向くように設置されました。
このモニュメントの長い歴史の中には受難の時代がありました。1931年には王権を象徴する鍵と杖と腕のひとつを失い、 その後市民戦争の混乱の中でライオンが破壊されたこともありました。

大理石に彫刻されたこのモニュメントの中心をなすのは大地豊穣の女神シベレスの像で、彫刻家 Francisco Gutiérrez(フランシスコ・グティエレス)の作品です。女神は噴水の真中にある岩の上に設置された馬車に乗っていて、両手にはそれぞれ杖と鍵を持っています。台座部分に彫刻されている奇怪な面の口から吐き出される水は、ライオンの上を越えて噴水盤の縁まで届く勢いです。台座には他にも蛙と蛇の彫刻が施されていますが、その存在はあまり知られていません。
フランス人彫刻家 Roberto Michel(ロベルト・ミシェル)によって創られた馬車をひく2頭のライオンは女神の怒りをかったヒポメネスとアトランタだと言われています。
彫刻全体の大きさは直径32メートル、高さ8メートルにおよびます。
20世紀半ばにモニュメントはさらに美しく生まれ変わりました。多くの噴水が加えられて美しい水の流れが作られると同時に、様々な色のイルミネーションが彫像を照らし出すようになり、マドリードの街を象徴するスポットになりました。上段の水盤には、5メートルの高さまで垂直に水を噴出する2つの大きな噴水と女神を囲むように配置されて外側に向って水を噴出している多くの小さな噴水が設置されています。